その日は記録的な大雨で、ふるさとの中心を穏やかに流れる川の堤防が決壊すれば、道路の冠水どころでは済まないという情報も入っていた。遠方に出かけていた私は「どうか無事でありますように」と祈るだけだった。

無事を祈る。事が無いように、事が起こらないようにと祈る。

若いころは、無事という重みがわからない。いいことはたくさん起こってほしいし、自分でつかみ取ることもできる。しかし「無事」はただ祈ることしかできない。

よいことのサプライズはうれしいに決まっているが、びっくりして疲れる。

何ごとも無い平穏無事な一日は穏やかにうれしいものだ。今日一日何も無かったことに感謝したいと思う。こころ穏やかに生きたいから、無事を祈る。

「事無し草」という草があるそうだ。忍草というシダの仲間で、土がなくてもよく耐え忍んで育つことからこう呼ばれるようになったのだそうで、昔の人は、そんな名前をつけて無事を祈ったのだろう。おだやかだ。

いま花壇にはお日さまが照っている間しか花開かない小さな花がきれいに咲いている。正式名称は知らないが、地元のお年寄り(いい言葉)は「日照り草」と呼んでいる。おだやかだ。無事に歳をとることはいいことだ。